任意と強制の違い

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任意と強制の違い

「任意」の意味

PTAの任意加入の問題について調べていくと「任意」という言葉の難しさを改めて感じます。


にん‐い【任意】
[名・形動]思いのままにまかせること。その人の自由意志にまかせること。
      また、そのさま。

デジタル大辞泉よりhttps://kotobank.jp/word/%E4%BB%BB%E6%84%8F-593620

辞書的な意味は上記の通りですが、誰かが人に「これは任意です。」といった場合、
通常は「これは任意です。(でも、やってほしいです。)」という意味に
なってしまうのが世の常だと思います。。。

駅前にいた挨拶おじさん

任意と強制の違いについて考えるために私が体験したエピソードをお話しします。
昨年の話ですが、駅前に突如、挨拶おじさんが現れました。
おじさんは近くでお店をやっている人で、半分宣伝の目的でやっていたのでしょう。
駅前に立ち、あらゆる人に挨拶をしていました。

その駅は高校が近いこともあり、朝の時間帯は高校生がたくさんいます。
高校生はあいさつをすると気持ちよく挨拶を返します。時には一言、二言
言葉を交わしておじさんに愛想を振りまく子もいました。

これがおじさんを増長させたのでしょう笑
ある時からおじさんの挨拶は一種の社会運動の街宣のようになっていました。

挨拶の必要性を説くようになったおじさん

いわく、「あいさつは人間の基本、あいさつは心の洗濯。。。」など
あいさつの必要性を大声で説くようになっていったのです。

私はあいさつがあまり好きではありません。でも、あいさつをすることは
社会的に認められたマナーですので正直いやいやながらも、会社や地域の方に
挨拶をしています。なぜ、挨拶が嫌かといえば単純に人とコミュニケーションを
とるのが嫌いだからです笑。(誤解をされないように言いますと、会社や地域で私の
挨拶は大きくて気持ちがよいという評価です。ちゃんとしてます笑)

あいさつについて説教するようになってから、自然と私は挨拶おじさんを無視するように
なりました笑。なぜなら、そもそもあいさつは「任意」ですし、求められてするものでは
ないからです。会社や学校で挨拶を求められるのは、挨拶をすることが「まともな人間」だと
思われるからであって、一種のイメージ戦略です。会社に出勤する前の一個人の私が
挨拶おじさんに「強制」される義理も必要性も何もないのです。

私のように何人かが無視するようになり、当初は挨拶おじさんは恨み言を大声でいうことも
ありました。いわく、あいさつができないと~だ(社会人失格だ)のように。

もはや、この方は私にとってコミュニケーションをとる必要のある方ではなくなりました笑
徹底的に無視を貫いていたところ、私のように不快に思った人もいたのでしょう。警察官と
揉めているところを見かけました。(誰かが邪魔だと通報したと信じたい)

警察官と揉めるおじさん

警察官はおじさんに注意をしていました。確かにおじさんは駅前の横断歩道のところで
あいさつをしており、めちゃくちゃ邪魔でした笑
通りすがりに聞いていただけなのですが、警察官は優しく諭すように
じゃまだからどいてくれという意味合いの注意をしていました。

すると。。。

なんとおじさんは逆ギレして警察官に言い返していたのです!笑
いわく、邪魔ではない、警察官がバイクでそこにいるほうが邪魔だ!などなど

挨拶よりも大切なことを忘れたおじさん

わたしはおじさんを見て本当にかわいそうな人だと思いました。
挨拶の重要性を説くよりも人を尊重することを学んでほしい。
心からそう思います。警察官が嫌がらせでそんなことを言っている
わけではないとなぜ気づかないのか?朝から本当に嫌な気持ちになったことを
今でも思い出します。笑

そんなことが何回もあったのか、いつの間にかおじさんはいなくなりました。。。
(つーか今時、知らない人に声かけられるのとか怖いからやめろ)

おじさんに学ぶ「強制」の害

挨拶おじさんは本当に害悪でしたが、一般的に挨拶はいいものとされています。
私もそれは否定しません、初めて会う方とコミュニケーションを取りやすくする、
場の雰囲気をよくする、話のきっかけになる などなど、挨拶はいいものです。

ただし、それを人に強制するのは絶対に違います。挨拶はあくまで「任意」で
自発的にやっているものです。挨拶を返されなかったとしても、それは仕方がないのです。

言い方を変えると挨拶おじさんは「必ず挨拶を返してくれる期待」を持っていたのだと
思います。でも、挨拶を返すのはそれぞれの自由です。返す価値もない人には挨拶をしません笑

また、挨拶を返さない人が社会的に認められない人だというのは言い過ぎです。
障がいを持っていて知らない人に挨拶を急にされてもすぐに返せない子どもも
たくさんいます。(実は自分の子どももです。)
おじさんのちっぽけな自尊心を満たすために人の心を傷つける行為がなぜ素晴らしい
ことなのか理解に苦しみます。

まとめ:強制はやめよう

まとめますと、強制は嫌なことです笑
現在も任意加入という名の半強制状態になっているのであれば
やはりそれは改善していくべきでしょう。

ただし、PTAならびにPTOという組織が必要か否かということでいえば
私は絶対に必要だと答えます。学校と地域、家庭をつなぐ組織は絶対に必要です。
必要な理由はそういう組織が他になく、問題があった場合などに連携を
とりやすくなることだと私は考えています。なので、PTA以外の別組織で運用をするというのも
一案だと思いますが、わざわざそうするのも非効率だと個人的には思います。

まずは強制的な運用をやめる、次に必要のないことをやめる、そして会費、手伝いなどの
金銭的、人的負担を下げることが必要です。そのうえで本当に必要なことが
何なのか、も改めて今の時代に則して考える必要があります。

その第一歩として強制をやめられるよう、私も所属するPTAに貢献したいと思っています。

読んでくださってありがとうございます!

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